《重要なお知らせ》水野秀樹審判員(長野県登録)の訃報に関するお知らせ。

「令和6年 能登半島地震」で被災された全ての皆様に心よりお見舞いを申し上げます。度重なる報道を見ていると本当に圧し潰されるような感情が去来します。特に一昨年お世話になった能登島コミュニティセンターが避難所になっているとのこと…。いまこの時点で出来ることは多くありませんが、当サイトも皆様の御心に寄り添い、皆様と共にありたいと思っております。どなた様も引き続き余震が続いておりますので、先ずはくれぐれも安全にお過ごしください。〔1月5日〕 

〔訃報〕水野秀樹審判員の訃報に関するお知らせ

 

 本年2月、飯山バイクコミッセールチームの一員として

長野県内の自転車競技大会に多大なご尽力を賜りました

水野秀樹審判員が急病のためご逝去されました。

 

今回のサイクリング長野では、水野コミッセールの

生前の長野県自転車界への多大な貢献と足跡

エピソードを加えて、謹んで皆様にご報告いたします。

 

 

水野秀樹コミッセール

 

水野秀樹コミッセール(長野県登録)
長らく「飯山モトコミッセールチーム」の主要メンバーとして
県内の自転車競技大会で
オートバイ審判(モト・コミッセール)を務める。
特に毎春地元で開催される「菜の花飯山ロードレース」では審判だけで無く
実行委員会の一員としても活躍をされた。
単にレースを捌くだけでなく、選手のレース中・レース後の安全管理にも
非常に定評があり、選手だけでなく、長野県の審判員からの信頼も厚く
何時も穏かで優しいキャラクターで多くの自転車関係者に愛された。

 

平林研吾審判員を乗せて、パンクした選手に代輪を供給する
ニュートラルモト・スタッフとして活躍する水野秀樹コミッセール。
〔2019 2 DAYS RACE IN 木島平村より〕

 

 

 ショートコラム
水野さんの「魂」がレース会場に戻って来た日

 

 水野さんが2月に急逝されてから約4か月後の6月21日㈪、場所は飯山バイク審判隊にはホームの「木島平クロスカントリースキー場」。二年ぶりに開催となるインターハイ最終予選の北信越大会に水野さんの魂が戻ってきました。元々オートバイ愛好家だった水野さんが、以前自転車のバイク審判を行うために買い替えたYAMAHAの黒と黄色のバイク。これを盟友である竹内則義コミッセール(長野県登録)が運転、この日の審判長の伊藤将志コミッセール(長野県登録)が同乗してレースが行われました。

 

水野さんのバイクを運転する竹内コミッセールと
この日の審判長を務めた伊藤審判長
〔北信越高校自転車大会ロードレースより〕

 

 

 レースは、途中で選手の「落車」が多少あったものの、生前に水野さんが細心の注意を配っていたレースにおける安全管理。救急搬送が必要なほどの重大事故は無く、レースも長野県の選手が3位から5位に入る大健闘を見せる大会となりました。

レース終了後には、盟友であった竹内コミッセールが、生前の活躍を伝える写真が飾られたメッセージボードを水野さんのバイクの隣に置かれ、水野さんを偲ぶ時間を設けて下さいました。多くの人と一緒に映られているその写真をみて、改めて水野さんがどれだけ多くの人に愛され、偉大な人だったのかを知ることとなりました。

 

レースを終えて水野さんのバイクが戻って来た。
それは、死してなお水野さんが自転車のレース会場に
戻ってきて、安全を見守ってくれているようにも思えた。

 

レースから帰って来た水野さんのバイクのハンドルに手を置いてみると、何時もレース後に緊張感から解放され必ず言われていた「あぁ~ 今日は大きな事故が無くてよかったよねー!天気もよかったし!!」とニコニコ笑われている姿が目に浮かびました。自分もまた何時もと同じように「そうですねー!、これもバイク隊と水野さんのおかげです。ありがとうございました…」と水野さんに語り掛けました。

ただ、何時もと違うのは、そこに水野さんの姿が無く、この日の自分の「ありがとうございました…」は水野さんへの長年の感謝と惜別の意味を持った言葉となりました。

 

竹内コミッセールによって飾られたメッセージボード
自転車界だけでなく、モーターバイクの世界でも
多くの人に愛されていたことが伺える。

 

 自分を始め長野県自転車審判員は、北信越高校自転車大会のこの日まで、水野さんの訃報を知らされていませんでした。それでも、こうしてレース会場に水野さんのバイクが戻って来てくれた為に、我々はその訃報を知ることが出来て、水野さんに感謝と、再び「その想い」を感じながら大会を行うことが出来ました。当サイトでは、こうした機会を作って下さった竹内則義コミッセールに、心より御礼を申し上げたいと思います。

 

 

 

 

サイクリング長野より

 

 1週間ほど前に「菜の花飯山ロードレース実行委員会」の

オルガナイザーの小林輝紀さんに、お会いしたのですが

その際に、「何で水野さんの訃報を教えてくれなかったんだ!」と

本気で怒ろうと思いました…。

しかし、小林さんから、その当時の急な話しを詳しく聞いて

 

 

そうか… 小林さんも突然の訃報に

本当にやり場の無い想いがあったんだな…と

再び、目頭が熱くなりました。

 

 

以前、自分が審判デビューした時の話しをしたと思うのですが

 

 

2015年たまたま自転車審判ライセンスを取得してしまい

審判デビュー戦となったのが、菜の花飯山ロードレースでした。

審判足りないからと言われ、わざわざ飯山まで電車で行かされ

地図も解らん山の中を歩いて、ようやく会場に到着したら

右も左も解らないのに、良く解らないポジションに一人置かれて

良く解らないまま、当時のチーフに怒鳴られる…

 

 

もう本当に、自転車は、この1回でうんざり!

金輪際もう懲り懲りだ!

 

 

誰も知り合いいないし。そもそも何で怒鳴られてるのかも

ここまで追いつめられるのかも意味が解らん。

 

 

そんな中で、バイク審判の水野さんは

レース後に率先して自分のところへ来て

とても温かい言葉をかけて下さいました。

 

それからも、飯山で初めてシクロクロスの全日本選手権で

ルーキーながら審判抜擢をされたのですが

その時も、シマノの横野さんと水野さんで

タイムアウト選手を管理する「80パーセント担当」を

行なったのを良く覚えています。

 

その後も、いつも大会の度に

バイク上から温かい言葉をかけてもらったり

立哨役員の時は、水や食料を補給してくださいました。

 

何時も穏やかで、優しくて

気さくに声をかけて頂いたことが忘れられません。

 

そして、レースが終わると

「事故がなくて良かった」「ケガが無くて良かった」

「天気が良くて良かった」「良かった、良かった…」と

何時も「良かった」を探して話していたことが

記憶に鮮明に残っています。

 

もう自分は審判を引退して2年になりますが

今後も、水野さんのような「人の心にやさしく寄り添ってくれる」

そんな自転車の審判を、このサイトを通じて発掘して行ければと思います。

 

 

自分が初めて全日本選手権というビッグタイトルの審判を行った時も
同じ「80パーセント・チーム」で執務した。

 

 

と、言う訳で

水野秀樹コミッセールの訃報のお知らせでした。

この文章を書く際に

どう格好良い文章を書いて

水野さんを紹介して送り出してやろうか?と

考えていたのですが…

 

 

ダメですね、泣けて泣けて…

格好いい文章とか無理だから。

 

 

特に自分は、水野さんに自分のデビュー戦から

お世話になっているので、文章にならない。

 

ただ、どうしても伝えたいことは 

長野県には、水野さんという偉大なコミッセールがいて

いつ何時も、誰よりも、

選手の安全な走行と、安全なレース運営に心を配っていたこと。

それを、多くの人に末永く覚えていてもらいたいこと。 

 

 

それだけです。 

 

 

おそらく、長野県の自転車審判員の中には

これを読んで、初めてその訃報に触れる方もいるかと思います。

そんな方には、今晩晩酌の前にでも 

水野さんを偲んでから一杯やってもらえればと思います。 

 

最後に、サイクリング長野は

水野秀樹コミッセールの

長野県自転車界への長年に渡る多大な功績に対して

改めて畏敬の念を表すと共に

心より厚く御礼申し上げます。

 

本当にありがとうございました。

 

cyclingnagano.com